ふじわら医院 内科・泌尿器科 広島

内科・泌尿器科
ふじわら医院
広島県広島市南区段原1丁目3-11
啓愛プラザビル3F

TEL: 082-567-0022

つれづれ備忘録

2022/02/15 転んでもただでは起きぬ

2022/02/15 転んでもただでは起きぬ

中国山地のとある盆地の小高い丘の上にポツンと一軒のログハウスがある。高校の同級生の診療所である。
深い冬には何日も患者が来ない(行きたくてもたどり着けない)。
養蜂家でもある彼はそこで蜂の針や蜂蜜やローヤルゼリーやらを用いる治療をしている(保険は効かない)。
これだけでもびっくりするがその経歴がまた凄い。医学生時代はタクシーやトラックの運転手の仕事で学費と生活費を捻出。
医者になってからはモータースポーツにのめり込んだ。ボル
ネオ島のジャングルを走破する四駆のラリーで準優勝。鈴鹿サーキットの8時間耐久レースに参加。飛行機操縦の免許を取ったのはいいが普通に飛ぶのが物足りなくてアクロバット飛行にチャレンジ。
並行して博士号も取得し臨床医学もみっちり研鑽したという。天から二物も三物も与えられたひと。

前置きが長くなった。十数年前、鈴鹿8耐レースの準備中のこと。携行缶をかかえていて何かのはずみにガソリンが両腕にかかって発火。Ⅱ度の熱傷で病院に救急搬送された。医者が右腕の処置を始めると「私も医者の端くれなので左腕はつつかないでほしい。自分で治すから」とお願いしたそうな。
病院から帰る
と左腕に蜂蜜をつけて小麦粉をまぶしてガーゼで覆い包帯を巻いた。その後も右腕は病院で標準治療を、左腕は自宅で蜂蜜療法を続けた。
その結果が冒頭の写真である。右腕は茶褐色で白い斑点が目立つ。
皮下組織が薄くなってひきつれ静脈が蛇行して浮いている。数年間はケロイドが酷くて備前焼みたいだったが幸いにも目立たなくなっている。
左腕は肌色で静脈も浮いてない。ケロイドの痕跡もない。ほぼ正
常な皮膚である。一目瞭然、蜂蜜療法に軍配が上がる。
実は、この出来事の前に彼はある実験をしていた。

煮えたぎった食用油を自分の腕に垂らして火傷を作り(4か所)、標準治療と異端療法(蜂蜜、ムカデの食用油漬、味噌)の効果を比較した。
結果は蜂蜜が最も優れていたという。不慮の事故は蜂蜜療法の有用性を身を
もって世に知らしむる千載一遇の好機となった。転んでもただでは起きぬひと。

2022/02/03 熊・猿・鳥・鹿・虎・・・干支ではありません

21年前、東北のとある都市で開催された医学会で「ホリスティックセラピーが奏功したと思われた多発転移を伴う腎癌の一例」と題する発表があった。
肺には無数の転移巣、右上腕骨は転移による病的骨折があって余命3か月と宣告された50代男性。人里離れた山にこもって五禽戯(ごきんぎ)と菜食療法を始めた。五禽戯とは中国の後漢末期の伝説の名医、華陀(かだ)が始めた気功法で熊、猿、鳥、鹿、虎の動きを真似るというもの。
虎なら指を折り曲げて四つん這いで肩を揺すりながら堂々と歩く。

1日5回、3ヶ月続けた結果、肺の転移は消え腕の骨折も治癒した。
レントゲン写真のスライドが供覧されると参
加した医師達からはどよめきが起こったという。

この記事を読んだ好奇心旺盛な小生は早速「五禽戯」の日本語のテキストを取り寄せた。すぐにできるだろうと思って始めたものの三日も経たないうちに投げ出した。ムズイのである。ひとつの型から次に移るまで留意すべきことが沢山あってぎこちない動きになる。とにかく疲れる。指導者につかねばとても無理。それにしても、かの男性はどうやって一人でマスターしたのだろう。

ここからは私見。当時は日本語の教則本などなかったはず。山の中で熊や猿や鳥、鹿、虎になりきっていただけなのではなかろうか。
型を無視した型破りの五禽戯ゆえに大自然と感応して癌が消滅したのだ、と思う。


 2021/11/17 パリ

四年前の節分に、彫りの深い顔立ちの長身瘦躯の老紳士がやって来た。前日は四十度の発熱。悪寒がして息苦しいという。酸素飽和度も体温も正常。インフルエンザの迅速検査は陰性で風邪薬を処方した。

次の日も来院した。半年で十二キロも体重が減少したというので血液を調べた。軽度の貧血とアルブミンの低下がありCA19-9という腫瘍マーカーは基準値の二百倍以上だった。

前医でおそらく癌を告知されたのだろう。「深刻な病気が見つかっても教えて欲しくない、この前はショックで自殺を図った」という。当然CTも内視鏡も拒絶した。CA19-9の結果は伝えなかった。それからは食事指導(ビールをご飯替わりにしていた)や下痢、不眠、頭痛など症状に応じた治療を行なったが徐々に打ち解けてきた。「わしは若い頃はね、ベンツを乗り回してね、女にもモテてモテてね。そうそう、パリにも住んどったんよ」パリとベンツの真偽はともかく、かなりのイケメンだったのは間違いない。四十代の頃の顔写真を見せてくれたが三船敏郎似の二枚目だった。ビールを減らし、まともな食事をするようになって体重が少し増えたのを殊のほか喜んだが暫くするとまた元に戻った。秋になって腕から肩にかけての痛みを訴えだした。冬に入ると口数が少なくなり体重は初診の時から五キロ減少。そして二月一日を最後に顔を見せなくなった。二月半ばに携帯に電話したが繋がらなかった。三月も間近に迫ってコールしたら電源が切れていた。青くなって区役所の生活保護の担当者に安否確認のお願いをしたところ翌日の夕方になって警察から連絡があった。「死後数週間の異状死なので検死をお願いします」診療が終わってから警察署の死体安置所に赴いた。強烈な死臭を覚悟していたが何十本もの太い線香から立ち昇る朦々(もうもう)とした煙のせいでほとんど感じなかった。ステンレス製のベッドに横たわった彼の顔は崩れて判別がつかなくなっていた。暫くの間、哀しみでも同情でも後悔でも嫌悪でもない感情に支配されていた。

朝(あした)には紅顔ありて世路に誇れども暮(ゆうべ)に白骨となりて郊原に朽ちぬ


 2021/11/11 ペットボトル

最高気温が三十五度を超える日が続いていた。熱中症の報道が溢れていた。頭痛と吐き気を訴える二十代の男性が来た。かなりしんどそうだったのでベッドに寝てもらい点滴をすることにした。

点滴の準備をしていると「あーっ」とひと声。冷え症の患者さんの首を温めるのに使ったペットボトルを取り去るのを忘れていたのだが、それがとても気持ちいいのだとか。頭の中は熱中症しかなかったが、診察すると、顔は青白い。発汗はない。手足は冷たい。経緯を聴くと、事務所のクーラーをギンギンにかけ冷気をずっと首筋に浴びていたとのこと。湯を入れたペットボトルで首や肩、脇の下、足の裏を温めたらすーすーと寝始めた。目覚めると症状はすっかり消えていた。医療に限らず何事も先入観は禁物です。

冷えは万病のもとです。慢性的な冷えは一筋縄ではいかないのですが、急に冷えたための苦痛は温めることで速やかに改善します。当院では湯を入れたペットボトルをお灸の代用にしています。


 2021/11/04 危機一髪

わが医院は五階建ての医療ビルの三階で、二階は耳鼻科、四階には眼科があるが五階はテナントがはいってない。十五年前の三月初め、いつものように五時過ぎに出勤したところ一階の玄関ドアが開いていた。空き巣だ!少し躊躇したが三階に駆け上がった。ドアガラスは割られガラスの破片が散乱していた。中に入り呆然としているとバタバタと四階から誰かが駆け下りてきた。

二階と三階で仕事をした後、四階のドアを叩き割ろうとしていた時に主(ぬし)が、のこのことやって来たという次第。逃げる途中で鉢合わせ。よほど慌てていたのだろう。「先生のところに泥棒が入ったちゅうて女の子から電話があって心配してきたんよ」と意味不明の弁明。聞き覚えのある声だったが名前がでてこない。あなた誰ですかと問うとサッと姿を消した。

当時このビルには警備が入っておらず五階に潜んで夜に一旦、鍵を開けて外に出て翌朝仕事に取り掛かったのでしょう。それにしてもあの時思わず「あなた誰ですか」と言ってよかった。固有名称が出ていたらと考えるとゾッとします。


 2021/10/27 人生の半分

「人生を半分降りる」という本がある。物事を斜め四十五度位から観ておられる哲学者中島義道先生による名著である。

ある日、受付から激しくまくしたてる声が響いてきた。怖々(こわごわ)と受付に足を運んだ。いかにもその筋(すじ)の者という風体にドキッとしたが丁重に診察室にお招きした。直前のクリニックで受診を断られ怒り心頭の態(てい)。ふんふんと傾聴し落ち着いたところで主訴を聞き腹診をして薬を処方した。

胃痛だった。酒の匂いがプンプンした。日を空けずに来院したが静かに順番を待っていた。家族構成や職歴、病歴を尋ねたところ・・・八人兄弟の八番目。中卒で就職してから実家に帰ったことがない。職を転々とし有名な組織の組員になったが破門。人生の三分の一はベッドというCMがあるが「先生、わしはね、人生の半分、刑務所に入っとるんじゃ」と告られて仰天した。長くて三年、比較的短い刑期を何度も務めあげ合算すると三十数年。名高い網走刑務所にも入ったことがあるという。
思わず「凄いですね」と声がでた。「色々と悪さをしたがシャブだけにゃあ手を出さんで」と誇り高く賜(のたまわ)った。無類の酒好き。一人酒は余りしない。居酒屋や路上で誰かと一緒に飲むのを好む。肝臓が悪くなりそうになると刑務所に入って酒抜きの規則正しい生活を送ってきたためか肝硬変や脂肪肝も認めなかった。定期的に来院したが、ある時より姿を見なくなった。一年半後にまたやって来た。執行猶予中にチョットした罪を犯したため関西の刑務所に収監されていたとのこと。その後も通ってくれたが、出入り禁止の飲み屋が増えてきたと愚痴をこぼすようになった。酒癖は悪いは、つけは踏み倒すは、では仕方がない。そしてある日、「先生。世話になったな。わし、明日、大阪にいく」と別れを告げに来た。あれから二年。今頃どこかで肝臓を休めているんじゃなかろうか。

こんな小さな医院にもあっと驚く経歴の人が来られます。圧倒的に普通の人が多いのでご心配なく。アウトローそのものと言っていい彼は実は寂しがりやで心根の優しい人です。
お話しを伺っているうちに胸襟を開いて悩みごとを相談してくださるようになりました。そして別れ際は少し感傷的になりました。


 2021/10/20 断食

四年前、ふと思い立って一か月近い断食を実験したことがある。飲食の制限はなし。絶ったのは情報。新聞は見出しも見ず、テレビからは離れ、ラジオはスイッチを入れず、インターネットは遮断した(ガラケーは通話のみ)。安心安全のための必要最小限の情報は妻から得るようにした。

カープがクライマックスシリーズに出られるかどうかの瀬戸際で三日目ぐらいまでは気になって仕方なかったが、そのうちどうでもよくなった。

実験結果:よく眠れるようになった。身の周りのささやかな事象に関心を持てるようになった。直感力が少しだ
け磨かれた。浦島太郎を疑似体験できた。

この夏はスガ、ショウヘイ、オリパラ、コロナ、ワクチン、タリバンでアタマがパンパンになってバグが頻発す
るようになったので情報断食を開始した。
三週間目に突入した九月十九日、突然ブログをかきたくなって半日で五つのテーマを仕上げた。ふじわら医院のホームページを立ち上げた際ユニークなブログを充実させるという目標があった。テーマはいくらでもあって内容もはっきりとイメージできるのだが何年も言葉にして表現できないでいた。

断食のおかげで左脳と右脳が直結したのかもしれない。

たかがブログで偉そうなことを言って申し訳ないのですが、創造的な仕事をするためには脳の休養、情報断食が役に立つようです。


 2021/10/12 キン・・が痛い

泌尿器科を標榜しているので陰嚢の痛みで来院する方が多い。令和に変わって間もないある日、キン・・が尋常なく痛むという三十代の男性が来られた。身を屈め両手は股間に顔面は蒼白。診察するためにベッドに寝てもらうも痛みのため仰向けになれず体を丸くしてうつ伏せになるのがやっとで診察どころではない。

本人の承諾を得てから腰背部を露出してトゲ抜き用の先の尖ったピンセットで腰椎から仙骨の端までチクチク刺
激したところ、あれっ痛くないや、とびっくりして起き上がった。陰嚢や鼠径部に異常のないことを確認して診察を終えた。

陰嚢痛の原因として、睾丸捻転、睾丸炎,精巣上体炎、前立腺炎などの泌尿器科疾患が挙げられます。それ以外
に腰椎や仙骨の神経に由来するものが意外と多いようです。腰椎すべり症を抱えていた件(くだん)の男性はゴルフのプレイ中に陰嚢が痛み始めたとのこと。

ピンセットで脊椎を刺激する治療はチクチク療法といって和歌山の脳神経外科医長田裕先生が考案されました。

痛みに対して即効性があり、自律神経のバランスを整える効果もあるので重宝しています。


 2021/10/05 屁のカッパ

我が医院の近くには猿侯川がありカッパの伝承が残っている。9月にはカッパ祭りがあるのだがコロナ禍の今年は中止になったんだっけ(違ってたらごめんなさい)。

胃腸の不調で来院した後期高齢者の男性。漢方薬が奏功してキチンと二週間毎に受診されるようになった。妙に気が合い診察室では、よもやま話に花が咲いた。手作りのカッパバックルのベルトにカッパのネクタイピン、カッパの絵入りのワイシャツという出で立ち。筋金入りのカッパオタクだった。診察が終わると必ず「屁のカッパ」を所望された。十字式という健康法を真似て始めた治療法(?)で背骨をしゃっしゃと両手のひらで撫で降ろすというもの。いたく気に入りこの手技を「屁のカッパ」と名付けてくださった。2年前の8月だった。えらく神妙な顔で「自分の写真を撮ってくれ」と懇願された。カメラがないといっても「どうしても撮れ」といってきかない。仕方なしにガラケーのカメラで全身像とカッパのバックルを写した。二週間後、姿を見なかったが気にならなかった。しかし四週間目にも来院されなかったので胸騒ぎがして自宅に電話した。「主人は亡くなりました」とのこと。後日ガラケーから写真を印刷して自宅に伺った。受診日のちょっと前、夫婦で外食した際に食べ物をのどに詰まらせて窒息死したそうだ。写真を手渡して焼香させていただいた。

家中がカッパグッズで占拠されていた。

果たして人は死期がわかるのでしょうか。「ありがとう」の三人はいずれも重篤な疾患があり一日か二日で亡く
なっていますが、この方は十日以上も経ってから、しかも事故死。偶然が重なっただけで穿ち過ぎかもしれませんが私は何らかの予感があって写真を希望されたと思っています。


2021/09/28 処方:ステーキ

七十代の小柄で痩せ細った女性。肉眼ではっきりとわかるほどの血尿が続いている。複数の病院の泌尿器科で診てもらったが原因は不明。貧血もなくガンも否定されたので止血剤で経過観察中。
お腹はペチャンコで腎臓がコリっと触れた。ダイエットでもしているのかと尋ねると、食害について書かれた本に出会いその内容を実践しているとのこと。肉や魚などの動物性たんぱく質は食害がひどいので食べずにヒジキなど栄養が豊富にあるとは思えないものばかり口にしているという。体重は5キロ以上は減少。診察室でその食養生の誤りを懇々と諭した。そして「家に帰ったらステーキを食べんさい」といった。自らの信条を否定されて気分を害したんじゃないかと思ったが、顔がパッと明るくなり「肉を食べてもええんですか」と問い返してきた。

腎臓下垂と食欲不振に効能のある補中益気湯もついでに処方した。その後も血尿は続いたが顔がふっくらとしてくるとともにその頻度は減ってきた。元の体重に戻ったころには「長く歩いた後だけ血尿がでるんよ」とのこと。今は八十代の彼女。ときどき膀胱炎になって来院するが血尿はない。そしてやや肥満気味となった。

巷に溢れる怪しげな健康本。どんなに荒唐無稽な内容でもハマってしまう人はいます。そしてその呪縛から抜け出るのには困難を極めることがあります。彼女も友人から変なダイエットはやめなさいと言われ自分でもおかしいとは思いつつもずるずると抜け出せないままでいました。彼女にとって本の著者と同格かそれ以上の権威がある者にズバッといわれて目から鱗が落ちたのでしょう(医学博士の肩書きも役に立つことがある)。

どうして血尿が消えたのでしょうか。腎臓の周りには脂肪や筋肉などの組織があってクッションのような役割をして腎臓があまり動かないように固定しています。痩せて内臓脂肪が少なくなると呼吸や運動の際に腎臓が下がり過ぎてしまいます。
そして腎門部の血管が圧迫され腎内の血管の圧が上がり鬱血して出血するようになります。腎臓の周りの脂肪が復活すれば欝血しなくなり血尿はなくなるというわけです。


2021/09/21 ありがとう

医者になって三年目。四十代のビジネスマンの主治医になった。腎盂がんの手術後に肺転移をしたため抗がん剤治療のため入院。
昔、「二十四時間闘えますか」というCMがあったが、CMの主役そのもののような人だった。ひどい副作用にも弱音を吐かずひたすらに仕事復帰を目指して頑張っていた。癌性疼痛も現れモルヒネを使い始めたが彼は抗がん剤を続けることを希望した。私は了解し回診の度に「頑張りましょう」と言い続けた。

ある日、病室からの帰り際、唐突に「ありがとう」という言葉を背にあびた。

びっくりした。私は小さく「はい」と言ってそのまま部屋を後にした。

翌日、彼は息を引き取った。

四十代になって小さな医院を始めた。外来診療とともに往診も行っているが往診先で二回、同じような経験をした。

八十代の腎がんの男性。中華料理店の店主で頑固一徹。あまり口を聞いてもらえず何もすることがない。すぐ帰るわけにもいかず往診の度にお腹に手を当てさせてもらった。
亡くなる前の日、玄関を閉めるとき「ありがとう」の声が耳にはいった。そして七十代の肝硬変の男性。寝たきり状態で膀胱にカテーテルを留置していてその交換のために往診していた。亡くなる二日前に「ありがとう」と言われた。

動物は死期を悟って姿を消すということを聞いたことがありますが人はどうなのでしょうか。三人の男性はとても一日か二日で亡くなるようには見えなかったのですが、死の少し前に「永遠のお別れ」とも言える言葉を口にされました。ありがとうには感謝の気持ちがこもっていますが正直言って自分は感謝に値するようなことはしていません。死期を悟って現世への執着がなくなると自然に「ありがとう」と口にでるのではないでしょうか。


2021/09/21 蚊取り線香

四半世紀の昔、県北の病院に勤めていたころのこと。

季節は夏。夕方からお腹の具合がおかしくなってきた。運悪くその日は当直だった。夜半に結構な腹痛と下痢がはじまった。
お医者さんはといえば当直室とトイレを往復
している人ただひとり。わが身の不運を嘆いていると当直室の片隅の蚊取り線香が目に入った。
もしかしたら良くなるかもと淡い期待を抱いて蚊取り線香に火をつけた。
不要不急の急患は来られないようにと祈りつつ線香の火を足裏のツボに近づけた。
方はすぐに熱くなったが反対側は鈍かった。鈍感なツボに火を近づけ熱く感じたら火を離し、また火を近づけということを繰り返した。
熱さを感知するまでの時間は段々と
短くなってきた。そして近づけるとすぐに熱くなった。いつの間にか渋り腹と下痢は良くなっていた。

当時から東洋医学の勉強をしていましたが、たまたま食あたりの特効穴を知っていた、左右にツボがある場合は感覚の鈍い方を選ぶ、モグサがなければ線香で代用できる、などの知識があったことが幸運を招いたといえます。