ふじわら医院 内科・泌尿器科 広島

内科・泌尿器科
ふじわら医院
広島県広島市南区段原1丁目3-11
啓愛プラザビル3F

TEL: 082-567-0022

※第1・第3土曜日は休診です。

つれづれ備忘録

2024/10/21 ハッピーエンド

1932年の冬、ブダペストの大学生エスター・クレインは、ある定理を発見証明した。
「どの3点も同一直線上にない平面上の5点は凸四角形の頂点となる4点を常に含む」というもの。
彼女の数学仲間の大学生たち(ポール・エルデスとジョージ・セケレシュ)はこれを一般化した定理に拡張させた。
エスター・クレインとジョージ・セケレシュは1937年6月13日に結婚したが、ポール・エルデスはこれらの定理を「ハッピーエンド定理」と名付けて二人を祝福した。その後ハンガリーは第二次世界大戦の戦場になり、戦後はソビエト連邦支配下の社会主義国となるなど歴史の波に翻弄され、3人は祖国を離れざるをえなかった。
そしてセケレシュ・クレイン夫婦は2005年8月28日のほぼ同じ時刻にオーストラリアで亡くなった。エスターは95歳、ジョージは94歳だった。まさに「幸せな結末」であった。

ポール・エルデス(1913ー1996)は下着とノートだけが入った古びたカバンひとつで世界中を放浪した20世紀最大の天才数学者である。
ハンガリーには中高生を対象とした数学コンテストがあり成績優秀者は数学雑誌に写真が掲載された。
上列の左からエルデシュ、クレイン、セケレシュ。(ポール・エルデス:離散数学の魅力 バシェック・フタバル著 近代科学社 より)
「幸せな結末」は大滝詠一もいいけど 、ユーチューブにアップされている na Reloによる演奏が秀逸です。

2024/10/17 長生久視

子どものころ見た映画、たしか「大魔神」だったと思う、のワンシーンに仙人が登場した。深山の幽谷の小さな池に超然と佇(たたず)んでいたがヒーローやヒロイン、大魔神よりも仙人のほうに魅入ってしまった。
長じてからは長生久視(不老長寿)の仙人になることを目指す神仙道に興味をもったが、神仙道のさまざまな身体技法を実践することは難しく早々に頓挫した。ただ金液還丹法だけは、いつでもどこでも簡単にできるので続けている(金液とは唾液のこと)。具体的には:上下の歯を左側ー右側-真ん中の順に12回ずつカチカチ噛み合わせる。すると唾液がでてくる。次いで舌で口腔粘膜、歯の内外をくまなく攪(か)いて唾液を練る。久しく練っていると甘美な味になる。それをゆっくりと飲み下して丹田に送り届けるようにイメージする:というものである。眉唾(まゆつば)ものといわれても仕方ないと思っていたのだが。
6月号の「医師会だより」にH先生の近況報告が載っていた。H先生は御年93歳。現役の開業医でテノール歌手。6月にはリサイタルを開催。何十年も風邪をひいたことがなく病気と無縁でゴルフもされている。H先生は不老長寿の唾液腺ホルモン(パロチン)をリサイクルするために「口に絆創膏を張り上顎の犬歯の上に1センチ角のコンニャクのスポンジを入れて寝ている」とのこと。
この頃小生は、しょっちゅう歯をカチカチさせている。

2024/8/19  蚊帳(かや)のそと

70年代の吉田拓郎のLPレコードの音源は殆どCD化されているが「ペニーレインでバーボン」が入ったCDは見たことがなかった。筋金入りのタクローマニアのAさんに「何でじゃろうかね」と尋ねたが「よく分からない」とのことだった。だが7月の来院時に「拓郎の新譜に入ってましたよ!」と教えて下さった。「ヤッホー」


「ペニーレインでバーボン」の歌詞には、現在では適切ではないとされている言葉が含まれていますが、この楽曲が制作された1974年当時、そして現在も、そのような意図をしたものではありません。

なるほど、そうだったのか。「ペニーレインでバーボン」だけ蚊帳のそと、だったのは。
ユーチューブにアップロードされているライブの中でたくろうは、「○○○さじき」を「蚊帳のそと」に言い換えて歌っている。

「やまや」でバーボンウィスキーを買った。「家飲みでバーボン」といきたいが今宵は匂いだけ嗅いでTakuroの新譜に酔いしれることにしよう。
かつて晩酌をしたあと、訪問診療をしている患家から緊急の往診依頼があった。酒の匂いをプンプンさせながらタクシーで伺ったのだが申し訳ないやら恥ずかしいやらで差し出されたタクシー代を受け取らずに退散したことがある。それ以来、絶対に大丈夫なとき以外は禁酒と決めているので。

2024/7/1 コトダマニア

しき島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ ま幸くありこそ   


これは「日本は言葉に宿る神秘的な力が人を助ける国だ。どうか無事であって欲しい」という柿本人麻呂の歌。
頭を打って泣きわめいていたとき、母が「痛いの痛いの飛んでいけ」と言いながらたんこぶを撫でてくれたら、いつのまにか痛みが消えていた。
こんな経験もあってか小学生のころからずっと言霊(ことだま)に興味がある。
呪文から始まって般若心経、真言、神道祝詞と手当たり次第に覚えて唱えまくった。凝り性なので般若心経はサンスクリット語の原文も記憶した。何らかのご利益(りやく)を期待して唱えるわけで決して褒(ほ)められたものではない。振り返ってみるとビックリするようなご利益は皆無であった。ただ神道の「大祓詞」(おおはらえのことば)は唱えたあとは清々(すがすが)しい気持ちになる。
数多(あまた)の遍歴を経て、たどり着いた言霊が「ありがたい」である。ご利益の閾値(いきち)を思いっ切り下げて日常生活のチョットしたことに「ありがたい」と唱えるのである。
目が覚めた、生きているぞ、ありがたい。便が出た、腸が働いてくれている、ありがたい。セブンイレブンの淹(い)れたてのコーヒーが飲めた、ありがたいのう・・・・・・
こころは穏やかに気力もみなぎるようだ。

2024/3/11 ツィゴイネルワイゼン

サラサーテはスペインのバイオリニスト・作曲家である。8歳でデビュー。10歳のときスペイン女王の前で演奏して名器ストラディバリウスを賜ったという早熟の天才である。彼が作曲したツィゴイネルワイゼンは「ジプシーの旋律」という意味で、ロマ(かつてはジプシーと呼ばれていた)の大衆音楽の旋律を取り入れている。サラサーテが自奏したツィゴイネルワイゼンのレコードがあるのだが吹込みのときの手違いで演奏の途中に彼の話し声が録音されている。このエピソードを核にして内田百間は「サラサーテの盤」という怪異譚を書いたが、これは鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」の原作である。「ツィゴイネルワイゼン」は、あの世とこの世が交錯する一種のホラー映画だが20世紀邦画の最高傑作とも評される。小説でも映画でもレコードの中のサラサーテの声が幽界と顕界を結ぶ橋の役割を担っている。

正月休みにユーチューブを散策していたらロシアの音楽コンクールの動画に出会った。8歳の日本人少女がツィゴイネルワイゼンを演奏しているのだが、出だしから引きずり込まれ途中からは不覚にも涙腺が緩んでしまった。バイオリンの音色がこんなに美しいものだったとは。目を閉じて聴いていると流浪の民族の哀愁に満ちた情景が浮かんでくるようだ。会場は異様な空気に包まれていた。涙を拭う観客。口をポカンと開けた審査員、目に涙を浮かべ指を噛む審査員、最年少の参加者の登場に初めはニタニタ笑っていたのが真顔になって聴き入る審査員、三人三様に表情が移ろうさまが面白い。演奏が終わると彼らは大きな拍手でアンコールを要求した。まるで映画のような動画だ。
・・・「サラサーテ本人が乗り移って演奏しているかのようだ」「この子は何度生まれ変わってバイオリンを弾いてどんな人生を歩んだのだろうかと考えてしまう」「表情がとてもじゃないけど生まれて10年経ってない少女とは思えない。演奏も含めて前世の記憶を残したまま転生したとしか思えない」・・・といったコメントがあったが私も同感で「あの世の音楽家が憑依して弾いているんじゃないか」と思ったし「輪廻転生説もありだな」とも考えた。ある意味では内田百間や鈴木清順のフィクションよりも怖いノンフィクションである。

 コンクールから4年。12歳になった少女(吉村妃鞠さん)は日本の実業家からストラディバリウスを貸与された。HIMARIという名で活躍しているが残念ながらまだCDは出していない。

なお「吉村ひまり」「チゴイネルワイゼン」で検索するとあの動画にたどり着けます。

👇おまけ

日本映画シナリオ選集‘80(映人社)より

清順映画(ワイズ出版)より

2024/1/29 「ギンナン」補遺

イチョウは恐竜の時代から生き残っている植物で「生きた化石」といわれる。イチョウの木の実のギンナンは食用に供される一方、夜尿症、頻尿、咳嗽に対する効果、滋養強壮作用などの薬効が知られている。ギンナンにはビタミンB6に類似した成分が含まれているので食べ過ぎると嘔吐、下痢、痙攣などのビタミンB欠乏症状を起こす。

「年齢(とし)の数以上は食べてはいけない」といわれる所以である。
バンランコン茶は安く手に入るので常備薬としてストックしても損はしない。ノドや口の中がひどく熱を帯びて痛くて痛くて水もノドを通らないときは冷凍庫でアイスキューブ状にしたものをしゃぶるといい。
先日、医師会から「咳止め、去痰剤などの感冒様症状に対する薬が不足しているので当該薬の処方量をできるだけ抑えるように」との通達があった。様々な要因が重なって薬不足になったのだろうが日常的にありふれた病気の薬が足りないと騒いでいるのは「先進国」では日本だけらしい。嘆いても仕方ない。こんなときだからこそ病に対する先人たちの知恵を見直してもいいのじゃなかろうか。

2024/1/25  ギンナン

後期高齢者のA氏。夜間頻尿で通院していたのだがいつの間にか膝や腰の治療が主体になって薬は希望しなくなった。夜のオシッコの近いのはどうなったんと尋ねたら「先生の薬はダメじゃったがギンナンがええと聞いて毎日6粒ずつ食べるようになってから」夜間頻尿は改善し、おまけに「息子もエロう元気になったんよ」と嬉々として答えた。

「そりゃあ良かったのう」と言葉を返したが内心は複雑であった。処方した薬が効かず健康食品の方が役に立ったと言われたときの医者の心情は、力不足を感じて落ち込む、せっかく受診してくれたのに役に立てず申し訳ない、健康食品が効くわけがないし効いたとしてもプラセボ効果だ、何故そんなことを言うんだと立腹する、勝った負けたの問題ではないのだが「負けた・・・」と肩を落とす等々さまざまであろう。
バンランコンという生薬がある。アブラナ科の植物の根を乾燥させたもので咽頭の炎症を鎮めウィルスや細菌の増殖を抑制する作用があるという。中国では風邪の予防効果のあるお茶として親しまれている。バンランコンがコロナの予防や治療に役立つのではないかと脚光を浴びたことがあった。バンランコン茶のテイーバッグを取り寄せて飲んでみたが自分好みの味ではなかった。コロナやヘルパンギーナの診療が増えてから咽頭痛の治療に難渋するようになった。トランサミンは効かない。桔梗湯や桔梗石膏もパッとしない。そもそも咽頭痛が酷いときには錠剤も顆粒も飲み込めないのだ。あるとき、だめもとで手持ちのバンランコン茶のテイーバッグを差し上げた人がいる。後日、「漢方薬も痛み止めも効かなかったが、あのお茶を飲んでからノドがすごく楽になりました」とシミジミおっしゃった。
「そうでしたか。良かったですね」

マスクの下は・・・思いっきりドヤ顔。

2024/1/16  「私の武術へん歴」その後

「燃えよドラゴン」の後は剣豪小説や古武術、合気道関連の書籍を読むことはあっても「武術」の世界に足を踏み入れることはなかった。四十路に入って「医術」の領域に関心を持つようになった。表向きはごく普通の標準的な医療を行いつつも裏では「ホリスティック的な医術」の探究に没頭した。仁神術、点穴術、整膚術、刺絡法、筋診断法、水晶治療、オステオパシー、頭蓋仙骨療法など枚挙にいとまがない。本から得た知識を自分なりに展開したものもあれば、その道の師に教えを請うたこともある。なお、オステオパシーと頭蓋仙骨療法は希望者を集めて斯道の達人に施術してもらっている(毎月一回、大阪から来広される)。

最近は年のせいか少々くたびれてきたこともあり、患者さんに「術を施す」ことから、正心調息法、音読法、チクチク療法(いずれもブログで紹介)などの「セルフケア」を教えることに軸足を移しつつある。
高度情報化社会ではスマホやパソコンなどからの膨大なインプットで人間の頭の中はパンパンになってパンク寸前だ。思考能力は低下し自律神経は乱れに乱れ、心に余裕がない人も多い。かつてラジオ、テレビ、パソコン、新聞、スマホと一時的に縁を切る「情報断食」を数週間実行したところ爽快な気分になり体調も良くなったことがある(ブログ「断食」)。しかし、これは私のように人生を半分降りたような人間ならまだしも普通の人には実践不可能だ。
誰でも取り組めて短時間で頭の中をスッキリさせる方法の一つがマインドフルネスである。これは瞑想法の一種で、Googleが企業研修に取り入れたりビル・ゲイツが推奨していることもあって世界中に広まっている。具体的には・・・吸う息吐く息に意識を集中させ雑念が浮かんで来たらそれを否定せずに気付き、また呼吸に意識を戻す・・・というもの。自分もやってみたが呼吸を意識しすぎて、かえって呼吸がぎこちなくなり瞑想どころではなくなった。
マインドフルネスは向いてないのかと諦めかけたとき、Don`t think.Feel  のフレーズを思い出した。そうか!何も考えず感じるだけでいいんだ。ブルースリー式瞑想法誕生の瞬間である。
ブルースリー式瞑想法のやり方・・・手のひらをこすり合わせたのちにドッジボールを間に挟むような感じで手のひら同士を向かい合わせる。暫くすると指や手のひらにきわめて精妙で微細な感覚(チリチリ、ぞわぞわ、ヒリヒリ)が生じたり、指がピクピクしたり、ボールを持っているような感じがしたり、あったかさやヒンヤリ感を覚えたりするはず。それをひたすらに感じ続ける。このヒリヒリ感はどういう意味があるのだろうかなどと考えてはいけない。チリチリするぞなどとも思ってもいけない(考えることに繋がるので感覚を言語化しない)。雑念が湧いてきたら手のひらの感覚に戻る・・・少なくとも3分、できれば10分行う。
患者さんにセルフケアとして教えたところ、瞑想をした直後に、頭がスッキリしたり気分がよくなったり眠くなったりするなどの効果がみられた。一日一回、スマホを脇に置いてブルースリー式瞑想法を!

ウレタンスポンジ製のヌンチャクを手に入れました。頭に当たっても痛くないのでブルースリーになりきって振り回しています。

2024/1/11  私の武術へん歴

 「柔道一直線」という漫画(週刊少年キングに連載)の影響で中学1年のとき柔道部に入った。受け身ができるようになってから上級生による技の指導が始まった。体落とし、大外刈り、支え釣り込み足、膝車、大腰、小内刈りといった技を体験して柔道が面白くなってきた頃のこと。ニヒルで寡黙な2級上の先輩にいきなり道着の襟を掴まれた。

「お願いします」と言った途端、先輩はサッとしゃがみ込み股の間に腕を入れた。そして私の身体は軽々と宙に浮き先輩の肩の上に乗っかかり、ぐるっと回転して背中から投げ落とされた。肩車という想定外の技だったが下手くそな受け身のせいで体のダメージは大きかった。心も萎えて道場から足が遠のいた。翌年の2月、私と同様に幽霊部員となっていた友人から「柔道部の寒稽古の打ち上げに行こうや」と誘われた。ずっと稽古をサボっているのに行けるわけがないと断ったのだが、そこで振る舞われるぜんざいが「バリ旨いらしいで」ということだったので汗の匂いのしない柔道着に着替えて道場の片隅に二人端座した。後ろめたさと恥ずかしさは一口で消え去り、いそいそと二膳目の列に並んだ。人生の最後に何を食べたいかと問われれば間違いなく「打ち上げのぜんざい」と答えるであろう。
中2になって庭で木刀を振っていたら、剣道四段の父が町はずれの古色蒼然とした道場に連れていってくれた。白い長いあごひげの道場主は仙人のようだった。しばらく通ったが防具を着けての練習でいきなり面を喰らって脳震とうを起こしかけた。父には申し訳なかったが勉強を口実にして道場をやめてしまった。
大学1年の冬に「燃えよドラゴン」が封切られた。ブルースリーが繰り出すカンフーの技とヌンチャクに魅せられた。都合よく極真空手一級の学生と知り合いになったので彼に得意技を披露してもらった。真っ直ぐ伸びた足がサッと円弧を描いて鼻先をかすめた。「くわえタバコも蹴り落とせるぜ」
私は怖じ気づいて格闘技から早々と退散したが、映画のワンシーンでブルースリーが,なかなか上達しない弟子に放った「Don`t  think. Feel !] というひと言に感銘を受けた。


2024/1/4  ゴミ屋敷?

ではありません。



我が家の本棚や書架に納めきれなかった本の山です



一冊、一冊が思い入れのある貴重な本たちです。



(段ボール箱の中で日の目を見ずに眠っている本は、この山の容積の数倍・・・)


道楽とは言えども今までどんだけお金を使ったのだろうか。


2022年7月20日のブログ、

シンクロニシティを参照してください。



2023/8/10  洗礼

コーヒーの洗礼を受けたのはいつ頃だったか。

ダバダーダバダーのイントロ。北杜夫や遠藤周作がコーヒーを美味しそうに啜る情景。そして「違いがわかる男のネッスルゴールデンブレンド」のナレーションで終わるCMがあった。もう半世紀も昔だ。北杜夫フリークの私はワクワクしながら家にあったインスタントコーヒーを作って飲んだが「苦い」「不味い」に辟易した。
大学に入ってからは授業も部活もアルバイトもないフリーな時間を持て余すようになった。そこで図書館で本を数冊借り頭陀袋に入れて持ち歩き大学周辺の喫茶店で読書三昧と洒落こむことにした。コーヒー一杯で数十分居座ると次の店に移った。多いときは一日で十軒近くハシゴをしたが、のぼせて頭がくらくらしたり、時には気分が悪くなったことがある。喫茶店の甘美な空間と濃密な時間の対価としてコーヒーを注文していたのであって決して美味しいと思って飲んでいたわけではない。カフェインには中枢神経や心臓への刺激作用、血糖値上昇作用、利尿作用があって1グラム以上摂取すると中毒症状を引き起こす。コーヒー一杯には100ミリグラムのカフェインが含まれているので危ない橋を渡っていたようだ。だが上には上がいてバルザック(十九世紀のフランスの文豪)は日に五十杯のコーヒーを飲んだという(カフェインの致死量は6グラム)。
一か月前から昼休みに車で出かける用事ができた。道すがらセブンイレブンに立ち寄ってセブンカフェのコーヒーを飲むようになった。
紙コップをセットして「軽め」をプッシュすると豆を挽く音がしてコーヒー豆の芳香が鼻腔に拡がる。次いで黒色の液体がポタポタと抽出され始める。コーヒーの香りが漂ってくる。そして出来上がったコーヒーを手にして店の軒下の日陰でチビチビと啜る。数分間の至福の時間だ。「美味いのう」・・・自分もやっと違いがわかる男になった、のかな。

コーヒーは六世紀にナイル川源流の高原で発見されたという。初めはコーヒーの木の果実(コーヒーチェリー)が食された。種子(コーヒー豆)を焙煎し挽いて抽出するようになるまでには随分長い月日を要したらしい。コーヒーはイスラム教圏で飲まれていたが十六世紀には西欧キリスト教社会にも伝わった。コーヒーは異教徒の悪魔の黒水といわれて排斥された。が、瞬く間に民衆の間に広まった。そこで聖職者たちはローマ法王にキリスト教徒がコーヒーを飲むことを禁止するように進言した。法王は自らが試飲してからのほうが説得力があると考えてコーヒーを飲んだ。ところが、すっかり気に入ってしまい何とかして大っぴらに飲めるようにしようと策略を廻らした。「悪魔の飲み物は確かに美味しい。この稀有な飲み物を異教徒だけの専有にするのは至極残念である。よって、この飲み物に洗礼を行いキリスト教徒の飲み物の資格を与えん」とコーヒーに洗礼を施し給うたそうな。

※以下、喫茶店の写真は「昭和喫茶に魅せられて」303BOOKS より転載しました  

2023/7/18  土着の知恵

梅雨が明けると、いよいよ本格的なアウトドアのシーズンに入る。登山、キャンプ、トレッキング、海水浴、川遊びと楽しみは尽きないが、蚊やダニ、ツツガムシ、アブ、蜂に刺される機会が多くなる。これらのなかで見た目もグロテスクなマダニ刺症について取り上げる。草むらに潜んでいるマダニは人の皮膚にたどり着くと吸血に適した部位を求めて這い回る。ここぞという場所で口器を皮膚に突き刺して血を吸い始めるがマダニの唾液には知覚を麻痺させる成分があるため何日も刺されていることがわからない。たらふく吸血した小豆大のマダニを見つけても無理矢理引っこ抜いてはいけない。虫体は引き千切れても皮膚にがっしりと食い込んでいる口器は残るから。残存した口器は後に肉芽腫を形成し外科的切除が必要となる。マダニ除去用器具もあるが、上手に取れないことが多い。最も確実なのは局所麻酔をして皮膚の生検用器具やメスでマダニが吸着している皮膚ごと切除することである。しかしキャンプ場のテントの中で「アッ!」と気付いても、すぐには医者にかかれない。
ここで某国立大学医学部教授によるエッセイの抜粋を記してみよう。
・・・学生時代に北海道の日高山脈での部活の夏合宿で全員がマダニに刺された(一人当たり三匹以上)。互いにタバコの火を近付けたりそうっと引っ張ったりしても取れない。一人は無理矢理引っこ抜いたが口器が残った。仕方なしに腹ごしらえに入ったビール園で隣りに居合わせた日高地方の牧場主にマダニの話をしたところ彼は給仕に塩を一皿注文した。牧場主は筆者の腕をつかみマダニの周囲に彼の唾液を指で塗りたくり、そこに塩を盛ってこう言った。「5分待て」
5分後、筆者のマダニは、いとも簡単に引き抜かれた。つばを塗る行為にドン引きだった部員たちは拍手喝采。ビール片手に互いのマダニ摘出術を完遂し得た。医師になってからも、この方法でマダニの摘出をしているが90%以上の成功率である。さすがに唾液ではなく水道水を使っている。なぜ塩なのか?皮膚に食い込んでいる口器の周囲の表皮や皮下組織が浸透圧で収斂してギザギザした口器との間に隙間ができるのではないか・・・

塩の役割は分かるが唾液を塗る意味は?ここで末尾の小学生の夏休み自由研究もどきの図表を参照。
「セメント様物質」は口器から分泌される蛋白質で虫体を皮膚にがっしりとくっつけ固定する重要な役割を果たしている。充分に血を吸って満腹になると今度はセメント様物質を溶かす酵素が分泌されて虫体は宿主から自然に離れる。唾液にはアミラーゼなど蛋白質を分解する酵素が存在している。これがセメント様物質を分解して虫体を抜けやすくしているのではないか。水道水が代用になるとのことだが唾液の方が「待つ時間」はより短くてすみそうである。それにしても「土着の知恵」恐るべし。

2023/7/11  移精変気2

2022年11月10日の「思い間違い聞き間違い」でブログの表題の誤りを指摘してくださったH氏こと広川俊幸さんの話をします。彼は四十台で強直性脊椎骨増殖症という難病を発症しました。項部、胸部、腰部や臀部の激痛と強ばり及び脊柱の可動域の制限のためQOLを大きく損なう病気で根治的治療法はありません。彼は鎮痛剤を服用しながら公務員として働いていましたが腸管の穿孔のため手術をしたことが契機となって、さまざまな代替医療的試みを行っていた当院に来られました。残念ながら広川さんの期待に応えることはできなかったのですが自律神経免疫療法(爪の生え際を揉んだり刺絡をして自律神経を整える)に興味を持たれ、わざわざ新潟県まで提唱者の故福田稔医師に会いに行き、鎮痛剤を止めて爪揉みを続けました。手先が器用な彼は爪揉み専用の木製器具を作りました(爪もみカバさんの名称で市販)。そして無性に東洋医学の勉強をしたくなり定年まで何年も残して公務員を辞めて鍼灸の専門学校に入りました。爪揉みで多少は良くなっていたものの、この時点では強直性脊椎骨増殖症の苦しみは続いてました。同じ姿勢でいると十五分も経たずに激痛が襲ってくるのですが、なにくそと机にへばりついて授業に臨んでいました。自宅でも寸暇を惜しんで予習復習をしていました。寝ている間も経穴や経絡図が頭の中を巡っていたとのこと。試験の成績は断トツのトップでした。そうこうしているうちに痛みなしに座っていられる時間が長くなり卒業する頃には強直性脊椎骨増殖症の症状は著明に改善していたのです。痛みの程度を示す疼痛スケールは10まで低下していました(0は全く痛みがない。10、20、30と痛みの程度がひどくなり100は耐え難い痛みを表す)。

彼は今は、なかなか新規の予約が取れない腕利きの訪問鍼灸師として活躍しています。現在の疼痛スケールは限りなく0に近いのですが脊柱の可動制限は残っているため体を捻じる動作がし辛いのが唯一の悩みだそうです。
さて広川さんの難病の寛解の理由は?
私は移精変気(2022年11月4日のブログで紹介しました)によるものだと思います。移精変気とは気持ちや気分を変えて病気や身体の不調に対処するというもので東洋医学の古典「皇帝内経」にその記載があります。文字通り24時間勉学に打ち込むことで病に執着していた精(エネルギー)が全く違う精に移り変わったのでしょう。彼に同じ問いを投げかけたところ返ってきた答えは勿論「移精変気」でした。

このブログの掲載については広川俊幸さんの了解を得ています。

2023/7/3 サミット

 戒厳令並の警備による市民生活の多少の不便さはありましたがテロも大きな事故もなく(さしたる成果もなく)G7広島サミットは無事に終わりました。振り返ってみると岸田総理の肝いりの広島流おもてなしは実に見事でした。お好み焼、カープの赤い靴下、広島の食材をふんだんに使った料理・・・そして各国のトップへのお土産として広島の作家による蒔絵グラス、呉市を創業地とするセーラーの万年筆が選ばれました。

さて37年前の昭和61年には東京でサミットが開催されました。時の米国大統領はロナルド・レーガン、日本の総理大臣は中曾根康弘でした。来日前、レーガン大統領は「土産は要らぬ、クーガイの書が欲しい」と外交筋に打診してきました。ところがクーガイが何者か誰も知りません。「空海の書はあるが重文、国宝級なのでとてもお土産にできぬ」官僚たちは頭を抱えましたが、やっとのことで広島大学名誉教授で住職の山本空外(1902-2001)と判明しました。
空外は岸田総理の実家のすぐ近くで生まれました。東大で哲学を学び英語、独語、ギリシア語、古代サンスクリット語、ラテン語などを自由に操って西洋哲学と東洋思想の両方を究めました。広島文理科大学教授のとき被爆し、その後出家して島根県の法蓮寺の住職になりました。東洋の大哲人として日本よりは欧米で有名です。
さて書道家としての空外ですが、オッペンハイマー(原爆開発のトップ)は「クーガイの書の点は動く」と驚嘆し坂本真民(詩人)は「空外の書からは音がでる」と表現しました。空外の墨跡を尋常ならざるものにしているのは何でしょうか。それは空外思想の到達点「無二的人間」です。以下は空外による「無二的人間」の説明を補足を加えて記してみました。

無二の「二」とは「主・客」のことで自分と相手ともいえる。相手は親・子、夫・妻、先生・生徒のこともあれば米国・ロシアという国際関係や筆・硯・紙といった物のこともある。さまざまな主と客の重なり合う対立を超えて自分勝手をせずに、自分は相手を生かし、自分もそれを通して日々自分なりにいのちの実りを全うするする生き方を「無二的人間」と称する。

筆を生かし紙を生かし硯や墨をも生かした総合的な深まりが空外の書を特別なものにしているのでしょう。
ここからはサミット前の私の勝手な妄想です。岸田総理・・・郷里の大哲人・・・無二的人間の思想・・・G7の首脳に開陳・・・ロシアとウクライナ・NATO・米国の対立を乗り越える広島サミットの歴史的成果・・・
やったぜキッシー

2023/6/7 カッパ

 2021年10月15日のブログで稀代のカッパマニアの患者さん(故人)を取り上げたが、4月中旬にその方の奥様が来院された。



家中を占拠していたカッパのコレクションは去年、三次市の「みよし風土記の丘ミュージアム」に寄贈したが、この度、その一部の公開が決まったとのことだった。


5月28日にミュージアムを訪れて久々にカッパたちに会って故人を偲んだ。


7月9日まで展示してあるので興味のある方は是非とも立ち寄ってください。

2023/3/2 ブーメラン

 医学部の公衆衛生学の講義で吉益東洞(1702-1773)の話が出た。江戸時代中期の医者で日本の医学を近代化した偉人である。彼は「万病は後天的に体内に生じた毒によるものであり毒(薬)を以て毒を制すれば万病癒えざることなし」という万病一毒説を唱えた。具体的に説明すると・・・病因や病名はどうでもいい。単に体表や腹部に現れた異常を目で見、手で触れて毒の状態を判別し、毒(薬)を用いて下痢させたり発汗させたり嘔吐させて毒を体の外に出せばどんな病も根治するというもの・・・。何とも単純で荒っぽいやり方だが治病成績は、それまでの伝統医学よりも格段に優れていた。

「万病一毒説について述べよ」という問題が公衆衛生学の進級試験で出題されたが出来の悪かった私は皆の前で「何でこんな非科学的で野蛮で時代遅れなものを学ぶ必要があるのだ。国家試験にも出るはずはないし」と毒づいた。
開業してから刺絡という施術法に興味を持ち治療に取り入れた。細いツベルクリン針で爪の生え際や背中、腰を刺して少量の血液を絞り出すというもので即効性も期待できて患者さんに喜ばれることが多いので重宝している。先日、職員から「人差し指の第一関節が腫れて痛い」との相談があった。
「身体の毒が腫れたとこに滞っとるんじゃ。毒を外に出しゃあ治るで」と言って人差し指の爪の生え際をツベルクリン針で刺して血を絞り出した。「見てみんさい。血が黒いじゃろ。これが毒じゃ」
あなはずかしやはずかしや万病一毒説に毒され染まったこの自分。

追記:かの職員は幸いにも刺絡の直後より痛みは消え、その後も半月以上再発していない。

2023/3/1 シンボルマーク

 開院するとき、医院のシンボルマークを作ったが、正三角形マニアの私は正三角形を二つ重ねた六芒星か、東洋医学を象徴する太極図にするか迷った末に太極図を選んだ。

診察券

つい最近、正三角形に関する驚くべき定理を知ったが二十数年前に出会っていれば迷うことなくこれをシンボルマークにしていただろう。
それはモーリーの定理といって「どんな三角形でも三つの内角の三等分線の交点は必ず正三角形を作る」というものだ。

薄緑色三角形

平面図形の幾何学はユークリッド以来2400年もの歴史があるので20世紀にもなると未発見の定理などあるわけがないと思う。ところがどっこい1929年にアメリカのフランク・モーリーはこんなにもシンプルで美しい定理を発表したのだ。もっと早くに発見されていてもよさそうなものだが「角の三等分線を定規とコンパスで作図するのは不可能である」という事実が邪魔をして三等分という発想がずっと生まれてこなかったということだろう。

モーリーの定理は三角形の外角でも成り立つ。任意の三角形ABCから生まれた5つの正三角形。これを見ていると浮世の憂さが晴れてくるのは小生だけだろうか。

赤い正三角形

追記)モーリーの定理を表現した図は丸善出版の「美しい幾何学」から転載しました。

2023/2/20  そこに打つ手はないんかい

去年の桃の節句の頃、頻尿と排尿痛、残尿感を訴える高齢の女性が来院した。尿沈査では白血球と桿菌を認めた。セフェム系抗生剤を処方したが「全然効かんかった」と再来。よく聞いたらこれまで何度も膀胱炎になったことがあるとのこと。尿培養をしたらESBL産生大腸菌を検出した。ペニシリン系やセフェム系抗生物質を分解する酵素(ESBL)を出す薬剤耐性菌で多くの抗菌剤が効かなくなる。図はこの時のデータで耐性菌(R)が感受性菌(S)を圧倒的に凌駕している。耐性菌にはST剤が効奏することが多いので処方したが図を見るとST剤は耐性で、実際「これも効かんかった」。感受性のあるFOMを使ったら「よう効いたで」と笑顔。その後2回の膀胱炎はFOMで治ったが3回目は「だめじゃった」。今度はMINOを処方したら「えかった」のだが十日も経たぬうちに再発した。
「はあ効く薬がなあで」「そがあなこたあ云わんでくれんさいや」という遣り取りの後、MINOと「宮入菌を主成分とする整腸剤」を処方した。それから半年の間、その整腸剤だけで膀胱炎は再発していない。2週間毎の検尿も「白血球なし、桿菌なし」でご本人の笑顔が続いている。
女性の外陰部には大腸菌をはじめとする便由来の菌が多く存在している。女性は尿道が短いので菌は容易に膀胱に侵入して増殖し膀胱炎になりやすい。ただ尿道口に近い膣には乳酸菌が常在していて菌の増殖を抑えたり膀胱への侵入を防いでいる。閉経後は女性ホルモンが少なくなり膣粘膜が萎縮して乳酸菌が減るため膀胱炎になりやすくなる。「じゃあ乳酸菌飲料を飲めばいいんだ」ということにはならない。乳酸菌は大腸につくまでに胃液、胆汁酸、消化酵素で分解されるのであまり大きな効果は期待できない。
宮入菌は芽胞という強い膜に包まれているので分解されずに生きたまま大腸に到達する。酪酸、酢酸を産生して悪玉菌の増殖を抑制する。乳酸菌、ビフィズス菌といった善玉菌が生育しやすい腸内環境を作る。こうした理由もあってダメもとで宮入菌製剤を出したのだが運よく効奏した。


2023/2/16  初詣

今は昔。ウサギは雪深い村里の冬の貴重な蛋白源だったのだろう。幼い頃、近所の猟師が鉄砲で仕留めたウサギを我が家に届けてくれたのを覚えている。それ以来、野生のウサギは見たことがなかった。
私は毎年、大晦日の夜に自宅を出て元旦の深夜に生家の近くの神社にお参りしている。暖冬のお陰で最近は途中で引き返すこともなくなった。
クリスマス寒波の影響を懸念したが道路は除雪されていて安心して走行できた。道の両脇には除雪された雪が1メートル位の高さで連なっていた。幾つもの峠を越えて最後の峠の頂きに登り詰めたとき左前方の谷側の道端に小動物を認めたため車を止めた。ウサギだった。生きた野ウサギは初めてみた。暫くじっとしていたがピョンピョン飛び跳ねて山側の雪塊の向こうに消えた。帰り道。同じ場所でまた奴と邂逅した。今度は山側から谷側へと駆け抜けた。
「そう云えば今年は兎年。初詣の道中に兎に迎えられ見送られるとは何と目出度いことじゃ」と今年の幸運を確信したのだが。
1月6日、出勤時に車のドアで左の人差し指を詰めた。骨折はしなかったが皮膚がベロンとめくれた。1月中旬より右肩がひどく疼くようになった。例年より外来が忙しくて帰宅したらバタンキューでブログを書けなくなった。2月に入ると何十年ぶりかにお腹を壊して体重が2.5キロ減った。
幸いにも建国記念日をすぎてからは肩もお腹も体重も回復し外来も落ち着いてきた。やれやれ・・・。

2022/11/30 THE DARK SIDE OF THE MOON

 この表題は「マザームーン」と称揚されるご婦人の別称?言い得て妙だがそうではない。
1973年に発売されたピンクフロイドのアルバムのタイトルで邦題は「狂気」。
半世紀経った今も世界中で売れ続けている大ベストセラーだ。
アルバムのジャケットが秀逸でプリズムで七色に分光した太陽光線を何千回いや何万回も凝視したが今だに飽きないでいる。

医院の診察室の窓は東に面しており毎朝、太陽を拝むことができる。そして床には虹のような光景が出現する。

これは窓の棚に置いた大きな水晶がプリズムのように太陽光を分散させてできたもので晴れの日の朝の楽しみとなっている。

2022/11/10 思い間違い聞き間違い

 鍼灸師のH氏から「意精変気」の「意」は「移」ですよとの電話があり11月4日のブログを「移精変気」に訂正しました。いち早く気付いて知らせて下さったH氏に感謝。

「もろびとこぞりて」というクリスマスソングがある。讃美歌112番で歌詞は以下の如し。

諸人こぞりて迎えまつれ
久しく待ちにし主は来ませり
主は来ませり主は主は来ませり

クリスマスシーズンにはこの曲をよく耳にしたが歌詞を目にすることもなく、ましてや歌うこともなかった。小学校6年生のときテレビでウルトラマンが始まり夢中になった。ウルトラマンは怪獣を倒して宇宙に飛び立つ際に「シュワッチ」という掛け声を出す。仲間うちでこれがとても流行った。その冬のクリスマスの頃「もろびとこぞりて」が耳に入ったが「主は来ませり」が「シュワッチマッセリー」に聞こえ瞬時に閃(ひらめ)いた。あっ、そうか。「シュワッチマッセリー」は悪魔を退治するキリスト教の呪文でありウルトラマンの「シュワッチ」はそれに由来するのだ、と。爾後二十年もの間そう思い間違っていた。

時代はさかのぼって明治の御世。高僧が口にした有り難い真言を聞き覚えたお婆さん。病に臥せる身内の枕元で繰り返しそれを唱えたら立ち所に快癒した。それから病人が救いを求めてやって来るようになった。よく治るので評判が評判を呼んで門前市を成していた。ある時お坊さんが施療を求めてやって来た。いつものように数珠を爪繰りながら「オンコロコロセンダギマトウキソワカ。オンコロコロセンダギマトウキソワカ・・・」と唱えていたところ「お前さん。その陀羅尼は間違っているぞよ。センダギはセンダリ、マトウキはマトウギじゃ」とお坊さんがズバリ指摘した。それからというもの真言を何遍唱えても病気は治らなくなったという。聞き間違いのもたらした悲劇といえる。

2022/11/4 移精変気

 皇帝内経という東洋医学のバイブルがある。日本でいえば縄文時代末期のころ、前漢の時代に編纂された。
灸、漢方、気功、養生法など内容は多岐にわたっており現代でも十二分に役立つ医学の智慧の宝庫で、よく耳にする「未病」の原典でもある。
「移精変気」は皇帝
内経に記載されている治病法で、私は勤務医のころからずっと関心を持ち続けている。「移」は文字通り移すこと、「精」は人の根源的な生命の力、「変気」は気分を変えること。端的に言えば気の持ち方を変えて病気や身体の不調に対処しようというもの。心の不調に悩む人にペットや観葉植物を勧めるのも移精変気の一種で、ごくありふれた方法ともいえるが、やり方によっては難病や癌などにも有効である。皇帝内経には移精変気の実践例が載っている。・・・ある富豪の妻が二年間も不眠で苦しんでいた。数多の名医を渡り歩いたが薬石効なく困り果て載人に助けを求めた。載人は妻の脈を診て「脾が病んでおる。脾は思い(憂いや哀しみ)をつかさどる臓じゃからの」と言って夫に秘策を授けた。

それから数日間、夫は酒池肉林の放蕩三昧。吞んで喰って遊び呆けた。妻は怒りを大爆発させた後にくたびれ果てて眠ってしまった。九昼夜の爆睡の後不眠は癒えた・・・不眠の原因となっていた「思いのエネルギー」を「怒りのエネルギー」で転換(転気)して雲散霧消させたのである。(連れ合いが不眠症の方。決して真似はしないで下さい)

五禽戯という気功法で腎臓癌の肺と骨の転移が消失したケース(2022/2/3のブログを参照してください)は五禽戯の効果に加えて移精変気に帰するところ大と考える。

2022/10/21 記憶にございません

  このごろ国会の答弁で「記憶にございません」を連発する大臣がいらっしゃる。この言葉に嫌悪感や怒りを覚える人は多いだろう。

1976年、政財界を揺るがせた一大汚職事件があった。ロッキード事件である。国会で証人喚問された贈賄側の国際興業社長小佐野賢治氏が答弁に詰まったとき「記憶にございません」を繰り返した。これが大受けして小学生からサラリーマンまで大流行した。私は医学部4年生で、部活(野球部)にアルバイト(家庭教師)に旅行(インド、ニューギニア)にと大忙しであり充実した学生生活を謳歌していた。医学の勉強は余りしなかったが授業だけは出席していた。病理学の教授は飯島壮一先生で、広島大学学長であり高名なアララギ派の歌人であり世界的な病理学者であり哲学や美術、文学に造詣が深い文化人でもあり、言わば生ける伝説であった。授業ではときどき学生を当て口頭試問をされることがあった。うららかな春の日の午後、階段教室の最上段の片隅でまどろんでいると唐突に私に指名の矢が突き刺さった。階段教室に死角はないのか。質問の意味すらわからぬ。ここで不覚にも魔が差した。「記憶にございません」

どっと笑いが起こると思いきや教授の激昂で階段教室は静まり返った。私は血の気が引いて立ち尽くした。

口さがない学友は「良くて始末書、悪けりゃ停学じゃが、どう転んでも留年はないで」と慰めてくれた。教授室
に呼ばれた私は人生で最も緊張していたが「君に私の講義の時間の一部を与えるのでこれこれのテーマについて調べて皆の前で発表しなさい」と言われ(安堵で)へなへなと腰が砕けそうになった。必死になって文献を集めて纏(まと)めて発表した。終了後、飯島先生は想定外の質問をされたが立ち往生することなく答えられた。その時の先生のニヤッとした顔が忘れられない。

それからは少し性根が入り並の医学生になれたような気がする。まさに教え育まれた貴重な体験だった。

私にとって「記憶にございません」は、少ししょっぱいけれど心躍るあの時代に誘(いざな)ってくれる魔法の呪文である。

瀬戸際もとい山際大臣様。あなたのおかげで安らいだ気分に耽る時間が増えましたよ。

2022/10/11 SUISHOUDANI

  昭和38年の1月から2月にかけて日本列島は猛烈な寒波にすっぽりと包まれて異常低温と大雪による大災害に見舞われた(サンパチ豪雪)。
広島県北広島町では1月末には積雪が4メートルを超えて
陸路は遮断され我が集落も完全に孤立した。食料が底をついたころ岩国基地の米軍ヘリがパラシュートで救援物資を届けてくれた。三学期はほとんど休校だった。この豪雪の後、挙家離村(一家を挙げて村を離れること)する家が増えた。
我が家もその年の7月に広島市に引っ越した。曾祖母と祖母と愛犬のぺス
が村に残った。広島に出発するときペスは悲しそうに啼いていた。
そして二、三日のうち
にいなくなったという。祖母は「賢い犬だから(僕らを)追いかけていったんじゃろう」と言ってくれたが8月になっても姿を見せてくれなかった。二学期から新しい小学校に転校した。担任の先生に連れられて教室に入ると多数の好奇の目が一斉に自分に注がれて逃げ出したくなったがグッと堪えて自己紹介を始めた。名前、住んでいた村のこと、好きなこと、大雪のこと、家族のことまでは淡々と話せたがペスの名を口にした途端に涙が溢れて言葉に詰まり先生にストップをかけられた。この失態もあってクラスの中でひとり浮いた存在になった。
9月の終わりのころ近くに住んでいるK君がアパート
にやって来て「すいしょうだに」に誘ってくれた。三滝山の中腹に「すいしょう」が埋まっている谷があるので数人の級友と採掘しに行こうとのこと。初めてクラスメートの目を見ながら話ができた。嬉しかった。そして秋晴れの日曜日。小さな谷の斜面に仲間たちと這いつくばってひたすらに地面を掘っていたらH君が大きなオナラをした。F君が「くせー」と言った。広島に来て初めて大笑いした。暫らくして右足首に痛みが走った。すぐ下にいたK君が誤って熊手状のスコップの先端を突き立てたのだった。「ごめん」青くなって謝るK君に「だいじょうぶ。いたくない」と笑ってみせた。チームの戦果は1センチに満たない水晶が数個。自分はゼロだったが十分に満足していた。この時の傷は化膿せずに治ったが小さな瘢痕はずっと残っていて、それを見るたびに水晶谷の思い出が甦った。


60年の月日が流れた。未だに水晶だに・・・

2022/08/03 音読再考

 NHK「きょうの健康2022年1月号」に音読法の特集がある。それによると・・・MRIの検査では音読によって脳全体の血流量が増加した。特に学習、思考、コミュニケーション、感情を司る前頭前野で顕著だった。音読と計算練習を半年間行なったグループと何もしなかったグループ(いずれも70歳以上)に認知機能テスト(MMSE)と前頭前野機能テスト(FAB)を行なった。トレーニングを積んだグループのMMSEは変化がなかったが、何もしなかった方は低下した人が多かった。また、トレーニングをした方はFABの成績が向上していた。認知機能の維持~向上が期待できる結果だった。当院でも診察室で久しぶりに人と話をしたとおっしゃる一人暮らしの患者さんが増えているが、会話が少ないと顔面の表情筋、舌筋、嚥下筋などの筋力が低下して誤嚥しやすくなる。音読による口腔機能の改善で誤嚥性肺炎の予防効果が期待できる・・

私の経験から補足すると、音読によって耳下腺が刺激されて(1)唾液がよく出るようになる(2)若返りホルモンと云われるパロチンの分泌が亢進する(仮説)、そして古事記のブログでも言及したが腹式呼吸法としての効果もある。(2)については数年振りに来院された患者さん達から見た目が変わっていないとよく言われるので・・・。

音読のコツは、背筋を伸ばしてなるべく速く読むこと、10分以上かけること(短い文章は繰り返して)、速く読めるようになったら長い文章を息を吐きながら一気に読み、読み切ったらスッと息を吸ってまた読み始めることである。

音読は最高の健康法です。

2022/07/27 ハレとケ

 盆が近づいた。コロナ禍でこの二年間は盆踊りが中止になっていたが今年はどうだろうか。
私は無類の祭り好き
だ。今は限界集落になった山あいの村で生まれ育ったが物心ついてから年に二回のハレの日をとても楽しみにしていた。
盆踊りと秋祭りである。ちなみにハレは非日常を、ケは日常を意味する。秋祭りでは明け方近くまで夢うつつで神楽を見ていたらしい。
人見知りなので踊りの輪に入ることは余りなかったが沢山の人が炭坑節を楽しそうに踊
っているのを見るのが大好きだった。
ユーチューブで盆踊りの動画を渉猟していたらそれに出会った。ボニーMのバハマ
ママである。
えっ、盆踊りに洋楽?とビックリしたが歌と振り付けが見事にマッチして見ていてとても楽しい。
バハマママの動画を検索していたらボニーMの女性ボーカルのスタジオミニライブに行き着いた。
底抜けに明るくてノリのい
い観客たちを見ていると幸せな気分になる。
動画は何回も見たので彼ら彼女らのうち何人かはどこで会ってもす
ぐ分かる位に身近な存在になっていた。

二月二十四日からはあの動画は見ていない。見ることができない。あのライブはウクライナのテレビ局のスタジオで収録したものだと思っているから。
あの日から彼ら彼女は不条理の大波に翻弄されて人生は暗転した。

かの地の人たちにハレの日が来ることを祈るばかりだ。

2022/7/20 シンクロニシティ

 医院の待合室の一角には書棚があり、さまざまなジャンルの数百冊の本が読み手を待っている。奥のレントゲン室には段ボールの山にギッシリ詰め込まれた千冊を超える本が日の目を見るのを待ち焦がれている。我が家は数千冊の本に占拠されており、床が抜け落ちるんじゃなかろうか、本の山が崩れたら危ないがのうなどと危惧している。暇なときにはこれらのストックから手当たり次第に本を引っ張り出しては書棚の本と入れ替えている。本は借りることができる(貸出簿あり)。当院を受診する患者さんが少なかった頃のこと。受付終了間際にその日の午後の初めての患者さん(?)が来院したが本を書棚に返却してそのまま帰られたという笑えない話があった。

去年の9月のある日、尿の出が悪いという男性が来院した。彼は診察室に入ってくるなりビックリした面持ちで一冊の本を差し出した。 

笹井秀麗という破天荒なお坊さんを取材したルポルタージュである。色恋沙汰で辛酸をなめつくした末に僧侶になり三十二歳でインドに渡って半世紀。差別に苦しむ最下層の不可触民を中心に一億五千万人もの人々を仏教への改宗に導いたインド仏教界の頂点に立つ日本人の物語である。剃髪のオレンジ色の僧衣の青年はこう言った。「この方、僕の師匠です」

インドで笹井秀麗の弟子として修行中だがビザの関係で一時帰国しているという。「たまげたのう」私は排尿障害そっちのけで彼を質問攻めにした。当時インドでは新型コロナが爆発的に流行していたが彼がいた地域でも連日百人単位の死者がでていたとのこと。彼も師匠も感染したが軽症ですんだ由。彼から、高齢だが信じられないくらいエネルギッシュでユーモラスかつ大胆不敵で義理人情に厚いという大人(たいじん)の実像を聞いて感銘を受けた。

書棚のある医院の確率。数千冊のストックから「笹井秀麗、インドに笑う」が書棚に並ぶ確率。書棚からその本を見つける確率。数あるクリニックから当院に来る確率。笹井秀麗の弟子が日本にいる確率。
以上の確率を掛け合わせると限りなくゼロになる。まさにシンクロニシティである。

2022/07/05 上空移行の原理

2022/07/13 腸脳相関

 αグルコシダーゼ阻害薬は小腸の粘膜の酵素の働きを抑えて糖質の消化吸収を遅延させることにより食後の高血糖を改善する糖尿病の治療薬である。膵臓を刺激してインスリン分泌を促す薬と比べると体には*やさしい。

食事指導と運動療法を行なったもののヘモグロビンA1cが7%だったAさんにこの薬を処方したところHbA1cは6.3%まで低下した。「Aさん、よかったですね。この薬を続けましょう」と話したが彼は何となく浮かない顔をしていた。一ヶ月後Aさんはこう言った。「自分は陽気なラテン系でクヨクヨしたり眠れないようなことはないはずなのに気分が沈んで鬱っぽくなった。悪い夢もみる。あの薬が悪さをしているんじゃないかと考えてチョット休薬した。すると調子がよくなったが再開するとまた悪くなる」そこで作用機序の違う薬に変更したが次の診察時には絶好調のAさんに戻っていた。

腸は第二の脳とも言われ独自の神経ネットワークを形成している。腸と脳が互いに情報を交換しそれぞれに影響を及ぼしあうことを腸脳相関という。脳がストレスを感知すると腸に伝わり腹痛や便意が起こるという研究や腸に病原菌が感染すると脳で不安感が生じるとの報告がある。更に腸内の常在細菌が精神状態に関わっているという脳ー腸-微生物相関も提唱されている。Aさんの場合、αグルコシダーゼ阻害薬が腸内細菌のバランスを崩して脳に影響したのではないかと考える。腸脳相関は単なる仮説だと思っていたが「本当なんだ」と実感した。ただ何人もの人にこの薬を使ったが同じような有害事象は見られなかった。

2022/07/05 上空移行の原理

 2018年の金曜ロードショーで「天才を育てた女房・・・世界が認めた数学者と妻の愛」というドラマが放送された。佐々木蔵之介が世界的数学者岡潔を、天海祐希が妻岡みちを演じた。

岡潔は数学者が束になっても100年はかかるだろうと言われた難問をたった一人で解決した超のつく天才。が、奇人としても有名で雨の日も風の日も夏も冬も長靴を履いてこうもり傘を持ち、数学のアイデアがひとたび閃くと何時間も立ち尽くして思考を巡らせた。私は小学6年生の時ホームルームで担任の先生から岡潔の逸話を聞いて感動し暫くは長靴で登校した。

 さて表題の「上空移行の原理」であるが、岡潔が世紀の難問を解く手がかりとなった発想である。次元をひとつ上に上げてみると困難が著しく緩和するというもの。
道に迷ったときにドローンを飛ばして上空から情報を得るようなものだ。この原理は数学だけではなく日常生活でも応用できると思う。にっちもさっちも行けない状況で思考が堂々巡りしている時に視点を変えて上方から見るようにすると思わぬ突破口がみつかるかも知れない。例えば信頼、尊敬しているあの人ならばどう乗り切るだろうかと考えたり、意識をドローンのように飛ばして困難を俯瞰的に見たり、10年後の自分ならどうアドバイスするかなと思ったり、信心している神仏ならどう導いてくださるだろうかと天を仰いだり・・・

日頃からチョットしたことで、イライラしたりムッとしたり落ち込んだり迷ったり悩んだりした際「上空移行の原理」の練習をしておくとイザという時に役に立つこと間違いなし。

2022/07/05 上空移行の原理

2022/06/29 健康法

2022/02/15 転んでもただでは起きぬ

ジム・フィックス:ジョギング(52歳)

肥田春充:肥田式強健術(73歳)

田中守平:霊子術(45歳)

岡田虎二郎:岡田式静座法(47歳)

臼井甕男:臼井霊気療法(61歳)

星野稔:気功法(72歳)

津村喬:気功法(71歳)


 健康法の創始者の寿命は意外と短い。充実した生を全うできるのなら寿命は関係ないとは思うが実際にその健康法を実践するとなると躊躇するのも仕方ない。

 古事記のブログで言及したが私は三年前から正心調息法を行っている。腹式呼吸にイメージ療法や言霊法を加えたもので三日坊主にならずに続けている。

 具体的な効果は大袈裟に自慢できるものではないが、快便、いつも元気一杯で前向きでいられること、ちょっとした不調はひと晩休めば回復することなどである。

 このうち快便について考察してみたい。
 快便の定義:バナナ1~2本分の長さの便が途切れることなく出る、ウンウンといきまずに短時間にツルっと出る、嫌な匂いがしない、
 トイレットペーパーに殆ど便が付着しない、排便後に何とも言えない爽快感がある。
 もともと便秘と無縁ではあったが正心調息法を始めてからは快便の日が多くなった。

 正心調息法をしていると腸管の血行が良くなっているのだろうか、お腹がポカポカしてくる。というわけで今はやりの腸活に正心調息法をお勧めする。

 正心調息法を始めたのは東大医学部出身の開業医、故塩谷信男氏。106歳で亡くなられました。
 この健康法に興味のある方は、Googleで「正心調息法ネットワーク」と検索してください。無料のWeb講座があります。

2022/06/22 古事記

 日々溜まっていくストレスを発散したり免疫力をアップしたり全身のエネルギーを高めるにはどうしたらいいのだろうか。
飽きないで毎日続けられるもの、体に極度の負荷がかからないもの、比較的短時間で済むもの、お金のかからないもの、楽しいもの等々の条件を満たせば何でもいい。
ということで私が実践しているのが呼吸法で正心調息法と音読法のふたつ。今回は音読法について自分の体験を中心に述べる。20年以上前に市井の神道家の相曾誠治氏の影響を受けて古事記上巻の音読を始めた。文庫本40ページ分の長さで、はじめのうちは読み通すのに1時間以上かかったが60回通読したころには45分になった。100回目でやめた。
その後平成27年に体調を崩しかけた。何となく古事記を読もうと思った。その年の8月から古事記を音読し続けている。読むスピードはドンドン速くなり最近は20分で上巻を読み終える。
結構な長さの文章を吐く息に乗せて一息で読んではスッと息を吸うことをリズミカルに繰り返していると時々ランナーズハイのようになる。読後はエネルギーが補充されたようで爽快になる。
当初は別の目的で始めたのだが古事記音読は呼吸法だったことに今頃になって気付いた。

相曾誠治氏は佐藤愛子女史の「私の遺言」に登場する神道家です。興味のある人はふじわら医院の待合室の書棚まで。

2022/06/15 名人

 詩人になるという夢がかなわず人食い虎になった男の物語「山月記」を国語の教科書で読んで作者中島敦のファンになった。
彼の最後の作品が「名人伝」で弓矢の達人が更なる高みを目指して二人の師について修行する話である。
一人目
の師からは瞬きをしない修行をさせられた。
二年後に錐で目を突かれても瞬きしなくなった。次にシラミを凝視する修行を命じられた。三年後シラミが馬のように大きく見えるようになり、妻のまつ毛を矢で射抜けるほどになった。
二人目は弓を射ずに鳥を射落とすという名人。その師のもとで九年の修行を終えて都に戻った。彼は弓を取らない弓の名人として都の評判になった。あるとき弓矢を見せられたが、その名前すら忘却していたという・・・
二十年前のこと。いつも人形を片手に来院する女性がいた。喜寿をとうに超えていた。来るたびに違う人形だったのでその来歴を尋ねたところ「UFOキャッチャーよ」とおっしゃった。殆ど失敗はしない。達人である。
狙った獲物はどんな場所にあろうが邪魔物を次々に取り除いて確保するんだとか。驚嘆していると「じゃあ持ってきてあげる」とのこと。約束をたがわず受診のたびに一体ずつ。見事に七人の小人が勢揃いした。
それからずっと彼らは診察室のベッドの傍らに鎮座している。達人はどうしたことか七人目の小人を持参して暫らくして姿を見せなくなった。修行にでも行かれたのか。「そろそろ白寿だがお元気だろうか。如何ような名人になっておられるのだろうか


2022/06/09 天まであがれ

 「先生、上がるようになりました!」とニコニコしながら診察室に入ってきたAさん。お腹の張り、食後の膨満感や腹痛、食欲低下などで通院中。
胃薬や漢方薬をアレコレ替えて処方していたが効き目はイマイチだった。ただ診察の際は必ず「ある治療」を希望された。治療後はお腹がスッキリして暫くは薬を飲まなくてすむのだとか。
当院にはいわゆる民間療法や代替医療に興味があったりそれを仕事にしている患者さんがよく来られるのだが、数年前にある治療師から教えていただいたのがその治療法で「胃上げヒーリング」という。
骨盤まで下がった胃に声をかけて心窩部まで上げるというもの。「胃袋さん。あなたは骨盤まで下がっていますよ。元の位置に戻りなさい」と諭すように言うと胃がググっと上がる。
バリウム検査で胃が上がっていく様子が動画に撮られてユーチューブにアップされているらしい。当初は半信半疑で試すことはなかったが、しばらくのちに腹部の不快を訴える患者さんに「胃上げヒーリング」を施術してみた。
すると不快はたちまち消え去って患者さんも施術者もビックリした。それからは胃下垂が疑われる方に時々「胃上げ」を行っているが奏功することが多い。ちなみに私は声は出さずに意念で胃袋に語りかける。
医者がお腹に手を当てて唐突に「胃袋さん」と言い出したら患者さんは完全に引いて診察室から逃げ出してしまうだろうから。Aさんは「胃上げヒーリング」を受けるうちに自分でもやってみたくなった。
やり方を教えたがなかなか結果が出ないでいた。やっとコツを掴んでお腹の不快と胃薬から開放されたという次第である。

他人の臓器が意念に反応する?オカルトだ。怪しからん医者だ。宗教だ。エビデンスを示せ。そんなことあるもんか・・・いろんな声が聞こえてきそうですが、副作用もなく金もいらず薬も飲まないですむのなら別に目くじらなど立てなくてもいいのではないでしょうか。


2022/06/01 世界禁煙デー

5月31日はWHOが制定した世界禁煙デーである。遥か昔、私はチェーンスモーカーだったが今は煙草の微かな残り香の漂う空間からすら即刻退避する嫌煙派に属している。
 一方で患者さんにタバコの害を声高にまくしたてたり積極的に禁煙を指導するのも気が引ける。はたして喫煙には罪のみで功はないのだろうか。
 物集高量(もずめたかかず)という国語学者がいた。明治、大正、昭和を颯爽と駆け抜け106歳で帰幽した。
100歳で「百歳は折り返し点」というベストセラーを書き、徹子の部屋にも4回出演。健康長寿の秘訣を聞かれて「正直に生きないこと」「恋ってのが一番いいんです」
「夏の夕方、若い女性が薄着でプルンプルンとお尻を振って歩く。それをトウモロコシをかじりながら眺めているのが長生きのもとです」と答えた。
106歳を迎えて都立病院に入院したが亡くなる3日前、婦長から甥の矢崎泰久氏に呼び出しの電話があった。矢崎氏は覚悟していたが、違った。
「お爺ちゃんに注意してください。看護婦のスカートの中に平気で手をいれるんです」

東京都内の男性の最高齢でありベストセラー作家だったからか葬儀では都知事が弔辞を読んだという。

この物集高量という人。日本一いや世界一のヘビースモーカーだった。6歳から喫煙を始めて100年間。ゴールデンバットを毎日40本から60本も吸い続けた。
100歳を過ぎてからは80本になったというから驚きだ。今ならとても許されないことだが入院中もタバコは特別に許可されスパスパ喫っていた。最後の喫煙は婦長の逆鱗に触れた日。矢崎泰久氏と一緒に病室で吸った。

物集氏にとってタバコは健康のもとであり、長寿の秘訣であり、活力源でもあったと言えよう。

些かも後ろめたい気持ちを持たず一服に無上の至福を覚えながら喫えばタバコは毒から薬にかわるのかもしれない。

世界禁煙デーがいつのまにやら推煙デーになったようで心苦しい限りですが肩身の狭い思いをしておられるスモーカーの方々へのエールになればいいかなと思います。

「百歳は折り返し点」甥の矢崎泰久氏の「タバコ天国 嗚呼!素晴らしき不健康ライフ」はふじわら医院の待合室の書棚にあります。


2022/02/15 転んでもただでは起きぬ

2022/02/15 転んでもただでは起きぬ

中国山地のとある盆地の小高い丘の上にポツンと一軒のログハウスがある。高校の同級生の診療所である。
深い冬には何日も患者が来ない(行きたくてもたどり着けない)。
養蜂家でもある彼はそこで蜂の針や蜂蜜やローヤルゼリーやらを用いる治療をしている(保険は効かない)。
これだけでもびっくりするがその経歴がまた凄い。医学生時代はタクシーやトラックの運転手の仕事で学費と生活費を捻出。
医者になってからはモータースポーツにのめり込んだ。ボル
ネオ島のジャングルを走破する四駆のラリーで準優勝。鈴鹿サーキットの8時間耐久レースに参加。飛行機操縦の免許を取ったのはいいが普通に飛ぶのが物足りなくてアクロバット飛行にチャレンジ。
並行して博士号も取得し臨床医学もみっちり研鑽したという。天から二物も三物も与えられたひと。

前置きが長くなった。十数年前、鈴鹿8耐レースの準備中のこと。携行缶をかかえていて何かのはずみにガソリンが両腕にかかって発火。Ⅱ度の熱傷で病院に救急搬送された。医者が右腕の処置を始めると「私も医者の端くれなので左腕はつつかないでほしい。自分で治すから」とお願いしたそうな。
病院から帰る
と左腕に蜂蜜をつけて小麦粉をまぶしてガーゼで覆い包帯を巻いた。その後も右腕は病院で標準治療を、左腕は自宅で蜂蜜療法を続けた。
その結果が冒頭の写真である。右腕は茶褐色で白い斑点が目立つ。
皮下組織が薄くなってひきつれ静脈が蛇行して浮いている。数年間はケロイドが酷くて備前焼みたいだったが幸いにも目立たなくなっている。
左腕は肌色で静脈も浮いてない。ケロイドの痕跡もない。ほぼ正
常な皮膚である。一目瞭然、蜂蜜療法に軍配が上がる。
実は、この出来事の前に彼はある実験をしていた。

煮えたぎった食用油を自分の腕に垂らして火傷を作り(4か所)、標準治療と異端療法(蜂蜜、ムカデの食用油漬、味噌)の効果を比較した。
結果は蜂蜜が最も優れていたという。不慮の事故は蜂蜜療法の有用性を身を
もって世に知らしむる千載一遇の好機となった。転んでもただでは起きぬひと。


2022/02/03 熊・猿・鳥・鹿・虎・・・干支ではありません

21年前、東北のとある都市で開催された医学会で「ホリスティックセラピーが奏功したと思われた多発転移を伴う腎癌の一例」と題する発表があった。
肺には無数の転移巣、右上腕骨は転移による病的骨折があって余命3か月と宣告された50代男性。人里離れた山にこもって五禽戯(ごきんぎ)と菜食療法を始めた。五禽戯とは中国の後漢末期の伝説の名医、華陀(かだ)が始めた気功法で熊、猿、鳥、鹿、虎の動きを真似るというもの。
虎なら指を折り曲げて四つん這いで肩を揺すりながら堂々と歩く。

1日5回、3ヶ月続けた結果、肺の転移は消え腕の骨折も治癒した。
レントゲン写真のスライドが供覧されると参
加した医師達からはどよめきが起こったという。

この記事を読んだ好奇心旺盛な小生は早速「五禽戯」の日本語のテキストを取り寄せた。すぐにできるだろうと思って始めたものの三日も経たないうちに投げ出した。ムズイのである。ひとつの型から次に移るまで留意すべきことが沢山あってぎこちない動きになる。とにかく疲れる。指導者につかねばとても無理。それにしても、かの男性はどうやって一人でマスターしたのだろう。

ここからは私見。当時は日本語の教則本などなかったはず。山の中で熊や猿や鳥、鹿、虎になりきっていただけなのではなかろうか。
型を無視した型破りの五禽戯ゆえに大自然と感応して癌が消滅したのだ、と思う。


 2021/11/17 パリ

四年前の節分に、彫りの深い顔立ちの長身瘦躯の老紳士がやって来た。前日は四十度の発熱。悪寒がして息苦しいという。酸素飽和度も体温も正常。インフルエンザの迅速検査は陰性で風邪薬を処方した。
次の日も来院した。半年で十二キロも体重が減少したというので血液を調べた。軽度の貧血とアルブミンの低下がありCA19-9という腫瘍マーカーは基準値の二百倍以上だった。
前医でおそらく癌を告知されたのだろう。「深刻な病気が見つかっても教えて欲しくない、この前はショックで自殺を図った」という。当然CTも内視鏡も拒絶した。CA19-9の結果は伝えなかった。それからは食事指導(ビールをご飯替わりにしていた)や下痢、不眠、頭痛など症状に応じた治療を行なったが徐々に打ち解けてきた。「わしは若い頃はね、ベンツを乗り回してね、女にもモテてモテてね。そうそう、パリにも住んどったんよ」パリとベンツの真偽はともかく、かなりのイケメンだったのは間違いない。四十代の頃の顔写真を見せてくれたが三船敏郎似の二枚目だった。ビールを減らし、まともな食事をするようになって体重が少し増えたのを殊のほか喜んだが暫くするとまた元に戻った。秋になって腕から肩にかけての痛みを訴えだした。冬に入ると口数が少なくなり体重は初診の時から五キロ減少。そして二月一日を最後に顔を見せなくなった。二月半ばに携帯に電話したが繋がらなかった。三月も間近に迫ってコールしたら電源が切れていた。青くなって区役所の生活保護の担当者に安否確認のお願いをしたところ翌日の夕方になって警察から連絡があった。「死後数週間の異状死なので検死をお願いします」診療が終わってから警察署の死体安置所に赴いた。強烈な死臭を覚悟していたが何十本もの太い線香から立ち昇る朦々(もうもう)とした煙のせいでほとんど感じなかった。ステンレス製のベッドに横たわった彼の顔は崩れて判別がつかなくなっていた。暫くの間、哀しみでも同情でも後悔でも嫌悪でもない感情に支配されていた。


朝(あした)には紅顔ありて世路に誇れども暮(ゆうべ)に白骨となりて郊原に朽ちぬ


 2021/11/11 ペットボトル

最高気温が三十五度を超える日が続いていた。熱中症の報道が溢れていた。頭痛と吐き気を訴える二十代の男性が来た。かなりしんどそうだったのでベッドに寝てもらい点滴をすることにした。

点滴の準備をしていると「あーっ」とひと声。冷え症の患者さんの首を温めるのに使ったペットボトルを取り去るのを忘れていたのだが、それがとても気持ちいいのだとか。頭の中は熱中症しかなかったが、診察すると、顔は青白い。発汗はない。手足は冷たい。経緯を聴くと、事務所のクーラーをギンギンにかけ冷気をずっと首筋に浴びていたとのこと。湯を入れたペットボトルで首や肩、脇の下、足の裏を温めたらすーすーと寝始めた。目覚めると症状はすっかり消えていた。医療に限らず何事も先入観は禁物だ。

冷えは万病のもとです。慢性的な冷えは一筋縄ではいかないのですが、急に冷えたための苦痛は温めることで速やかに改善します。当院では湯を入れたペットボトルをお灸の代用にしています。


 2021/11/04 危機一髪

わが医院は五階建ての医療ビルの三階で、二階は耳鼻科、四階には眼科があるが五階はテナントがはいってない。十五年前の三月初め、いつものように五時過ぎに出勤したところ一階の玄関ドアが開いていた。ビル荒らしだ!少し躊躇したが三階に駆け上がった。ドアガラスは割られガラスの破片が散乱していた。中に入り呆然としているとバタバタと四階から誰かが駆け下りてきた。

二階と三階で仕事をした後、四階のドアを叩き割ろうとしていた時に主(ぬし)が、のこのことやって来たという次第。逃げる途中で鉢合わせ。よほど慌てていたのだろう。「先生のところに泥棒が入ったちゅうて女の子から電話があって心配してきたんよ」と意味不明の弁明。聞き覚えのある声だったが名前がでてこない。あなた誰ですかと問うとサッと姿を消した。

当時このビルには警備が入っておらず五階に潜んで夜に一旦、鍵を開けて外に出て翌朝仕事に取り掛かったのだろう。それにしてもあの時思わず「あなた誰ですか」と言ってよかった。固有名称が出ていたらと考えるとゾッとする。


 2021/10/27 人生の半分

「人生を半分降りる」という本がある。物事を斜め四十五度位から観ておられる哲学者中島義道先生による名著である。

ある日、受付から激しくまくしたてる声が響いてきた。怖々(こわごわ)と受付に足を運んだ。いかにもその筋(すじ)の者という風体にドキッとしたが丁重に診察室にお招きした。直前のクリニックで受診を断られ怒り心頭の態(てい)。ふんふんと傾聴し落ち着いたところで主訴を聞き腹診をして薬を処方した。
胃痛だった。酒の匂いがプンプンした。日を空けずに来院したが静かに順番を待っていた。家族構成や職歴、病歴を尋ねたところ・・・八人兄弟の八番目。中卒で就職してから実家に帰ったことがない。職を転々とし有名な組織の組員になったが破門。人生の三分の一はベッドというCMがあるが「先生、わしはね、人生の半分、刑務所に入っとるんじゃ」と告られて仰天した。長くて三年、比較的短い刑期を何度も務めあげ合算すると三十数年。名高い網走刑務所にも入ったことがあるという。

思わず「凄いですね」と声がでた。「色々と悪さをしたがシャブだけにゃあ手を出さんで」と誇り高く賜(のたまわ)った。無類の酒好き。一人酒は余りしない。居酒屋や路上で誰かと一緒に飲むのを好む。肝臓が悪くなりそうになると刑務所に入って酒抜きの規則正しい生活を送ってきたためか肝硬変や脂肪肝も認めなかった。定期的に来院したが、ある時より姿を見なくなった。一年半後にまたやって来た。執行猶予中にチョットした罪を犯したため関西の刑務所に収監されていたとのこと。その後も通ってくれたが、出入り禁止の飲み屋が増えてきたと愚痴をこぼすようになった。酒癖は悪いは、つけは踏み倒すは、では仕方がない。そしてある日、「先生。世話になったな。わし、明日、大阪にいく」と別れを告げに来た。あれから二年。今頃どこかで肝臓を休めているんじゃなかろうか。

こんな小さな医院にもあっと驚く経歴の人が来られます。圧倒的に普通の人が多いのでご心配なく。アウトローそのものと言っていい彼は実は寂しがりやで心根の優しい人です。
お話しを伺っているうちに胸襟を開いて悩みごとを相談してくださるようになりました。そして別れ際は少し感傷的になりました。


 2021/10/20 断食

四年前、ふと思い立って一か月近い断食を実験したことがある。飲食の制限はなし。絶ったのは情報。新聞は見出しも見ず、テレビからは離れ、ラジオはスイッチを入れず、インターネットは遮断した(ガラケーは通話のみ)。安心安全のための必要最小限の情報は妻から得るようにした。
カープがクライマックスシリーズに出られるかどうかの瀬戸際で三日目ぐらいまでは気になって仕方なかったが、そのうちどうでもよくなった。
実験結果:よく眠れるようになった。身の周りのささやかな事象に関心を持てるようになった。直感力が少しだけ磨かれた。浦島太郎を疑似体験できた。


この夏はスガ、ショウヘイ、オリパラ、コロナ、ワクチン、タリバンでアタマがパンパンになってバグが頻発す
るようになったので情報断食を開始した。
三週間目に突入した九月十九日、突然ブログをかきたくなって半日で五つのテーマを仕上げた。ふじわら医院のホームページを立ち上げた際ユニークなブログを充実させるという目標があった。テーマはいくらでもあって内容もはっきりとイメージできるのだが何年も言葉にして表現できないでいた。

断食のおかげで左脳と右脳が直結したのかもしれない。

たかがブログで偉そうなことを言って申し訳ないのですが、創造的な仕事をするためには脳の休養、情報断食が役に立つようです。


 2021/10/12 キン・・が痛い

泌尿器科を標榜しているので陰嚢の痛みで来院する方が多い。令和に変わって間もないある日、キン・・が尋常なく痛むという三十代の男性が来られた。身を屈め両手は股間に顔面は蒼白。診察するためにベッドに寝てもらうも痛みのため仰向けになれず体を丸くしてうつ伏せになるのがやっとで診察どころではない。

本人の承諾を得てから腰背部を露出してトゲ抜き用の先の尖ったピンセットで腰椎から仙骨の端までチクチク刺
激したところ、あれっ痛くないや、とびっくりして起き上がった。陰嚢や鼠径部に異常のないことを確認して診察を終えた。

陰嚢痛の原因として、睾丸捻転、睾丸炎,精巣上体炎、前立腺炎などの泌尿器科疾患が挙げられます。それ以外
に腰椎や仙骨の神経に由来するものが意外と多いようです。腰椎すべり症を抱えていた件(くだん)の男性はゴルフのプレイ中に陰嚢が痛み始めたとのこと。

ピンセットで脊椎を刺激する治療はチクチク療法といって和歌山の脳神経外科医長田裕先生が考案されました。

痛みに対して即効性があり、自律神経のバランスを整える効果もあるので重宝しています。


 2021/10/05 屁のカッパ

我が医院の近くには猿侯川がありカッパの伝承が残っている。9月にはカッパ祭りがあるのだがコロナ禍の今年は中止になった。

胃腸の不調で来院した後期高齢者の男性。漢方薬が奏功してキチンと二週間毎に受診されるようになった。妙に気が合い診察室では、よもやま話に花が咲いた。手作りのカッパバックルのベルトにカッパのネクタイピン、カッパの絵入りのワイシャツという出で立ち。筋金入りのカッパオタクだった。診察が終わると必ず「屁のカッパ」を所望された。十字式という健康法を真似て始めた治療法(?)で背骨をしゃっしゃと両手のひらで撫で降ろすというもの。いたく気に入りこの手技を「屁のカッパ」と名付けてくださった。2年前の8月だった。えらく神妙な顔で「自分の写真を撮ってくれ」と懇願された。カメラがないといっても「どうしても撮れ」といってきかない。仕方なしにガラケーのカメラで全身像とカッパのバックルを写した。二週間後、姿を見なかったが気にならなかった。しかし四週間目にも来院されなかったので胸騒ぎがして自宅に電話した。「主人は亡くなりました」とのこと。後日ガラケーから写真を印刷して自宅に伺った。受診予定日のちょっと前、夫婦で外食した際に食べ物をのどに詰まらせて窒息死したそうだ。写真を手渡して焼香させていただいた。

家中がカッパグッズで占拠されていた。

果たして人は死期がわかるのでしょうか。「ありがとう」の三人はいずれも重篤な疾患があり一日か二日で亡く
なっていますが、この方は十日以上も経ってから、しかも事故死。偶然が重なっただけで穿ち過ぎかもしれませんが私は何らかの予感があって写真を希望されたと思っています。

2021/09/28 処方:ステーキ

七十代の小柄で痩せ細った女性。肉眼ではっきりとわかるほどの血尿が続いている。複数の病院の泌尿器科で診てもらったが原因は不明。貧血もなくガンも否定されたので止血剤で経過観察中。
お腹はペチャンコで腎臓がコリっと触れた。ダイエットでもしているのかと尋ねると、食害について書かれた本に出会いその内容を実践しているとのこと。肉や魚などの動物性たんぱく質は食害がひどいので食べずにヒジキなど栄養が豊富にあるとは思えないものばかり口にしているという。体重は5キロ以上は減少。診察室でその食養生の誤りを懇々と諭した。そして「家に帰ったらステーキを食べんさい」といった。自らの信条を否定されて気分を害したんじゃないかと思ったが、顔がパッと明るくなり「肉を食べてもええんですか」と問い返してきた。

腎臓下垂と食欲不振に効能のある補中益気湯もついでに処方した。その後も血尿は続いたが顔がふっくらとしてくるとともにその頻度は減ってきた。元の体重に戻ったころには「長く歩いた後だけ血尿がでるんよ」とのこと。今は八十代の彼女。ときどき膀胱炎になって来院するが血尿はない。そしてやや肥満気味となった。

巷に溢れる怪しげな健康本。どんなに荒唐無稽な内容でもハマってしまう人はいます。そしてその呪縛から抜け出るのには困難を極めることがあります。彼女も友人から変なダイエットはやめなさいと言われ自分でもおかしいとは思いつつもずるずると抜け出せないままでいました。彼女にとって本の著者と同格かそれ以上の権威がある者にズバッといわれて目から鱗が落ちたのでしょう(医学博士の肩書きも役に立つことがある)。

どうして血尿が消えたのでしょうか。腎臓の周りには脂肪や筋肉などの組織があってクッションのような役割をして腎臓があまり動かないように固定しています。痩せて内臓脂肪が少なくなると呼吸や運動の際に腎臓が下がり過ぎてしまいます。
そして腎門部の血管が圧迫され腎内の血管の圧が上がり鬱血して出血しやすくなります。腎臓の周りの脂肪が復活すれば欝血しなくなり血尿はなくなるというわけです。


2021/09/21 ありがとう

医者になって三年目。四十代のビジネスマンの主治医になった。腎盂がんの手術後に肺転移をしたため抗がん剤治療のため入院。
昔、「二十四時間闘えますか」というCMがあったが、CMの主役そのもののような人だった。ひどい副作用にも弱音を吐かずひたすらに仕事復帰を目指して頑張っていた。癌性疼痛も現れモルヒネを使い始めたが彼は抗がん剤を続けることを希望した。私は了解し回診の度に「頑張りましょう」と言い続けた。

ある日、病室からの帰り際、唐突に「ありがとう」という言葉を背にあびた。

びっくりした。私は小さく「はい」と言ってそのまま部屋を後にした。
翌日、彼は息を引き取った。

四十代になって小さな医院を始めた。外来診療とともに往診も行っているが往診先で二回、同じような経験をした。

八十代の腎がんの男性。中華料理店の店主で頑固一徹。あまり口を聞いてもらえず何もすることがない。すぐ帰るわけにもいかず往診の度にお腹に手を当てさせてもらった。
亡くなる前の日、玄関を閉めるとき「ありがとう」の声が耳にはいった。そして七十代の肝硬変の男性。寝たきり状態で膀胱にカテーテルを留置していてその交換のために往診していた。亡くなる二日前に「ありがとう」と言われた。

動物は死期を悟って姿を消すということを聞いたことがありますが人はどうなのでしょうか。三人の男性はとても一日か二日で亡くなるようには見えなかったのですが、死の少し前に「永遠のお別れ」とも言える言葉を口にされました。ありがとうには感謝の気持ちがこもっていますが正直言って自分は感謝に値するようなことはしていません。死期を悟って現世への執着がなくなると自然に「ありがとう」と口にでるのではないでしょうか。


2021/09/21 蚊取り線香

四半世紀の昔、県北の病院に勤めていたころのこと。

季節は夏。夕方からお腹の具合がおかしくなってきた。運悪くその日は当直だった。夜半に結構な腹痛と下痢がはじまった。
お医者さんはといえば当直室とトイレを往復
している人ただひとり。わが身の不運を嘆いていると当直室の片隅の蚊取り線香が目に入った。
もしかしたら良くなるかもと淡い期待を抱いて蚊取り線香に火をつけた。
不要不急の急患は来られないようにと祈りつつ線香の火を足裏のツボに近づけた。
方はすぐに熱くなったが反対側は鈍かった。鈍感なツボに火を近づけ熱く感じたら火を離し、また火を近づけということを繰り返した。
熱さを感知するまでの時間は段々と
短くなってきた。そして近づけるとすぐに熱くなった。いつの間にか渋り腹と下痢は良くなっていた。

当時から東洋医学の勉強をしていましたが、たまたま食あたりの特効穴を知っていた、左右にツボがある場合は感覚の鈍い方を選ぶ、モグサがなければ線香で代用できる、などの知識があったことが幸運を招いたといえます。